高麗人参の栽培
ウコギ科の高麗人参は、気候条件などが似ているところでは、世界各地に広い分布を持ち、韓国、
日本、アメリカ、カナダ、中国、ロシアなどでもわずかながわ栽培されています。
一般に非燥、非陰、非陽といって、暑からず寒からず、水はけが良いことが高麗人参の栽培条件とされています。各地で栽培される高麗人参のは成分上にはそれほど目立った差はないと言われています。
人工的な栽培は非常に難しく、整地して種子をまいてから、6年間を経過した後でなければ収穫できないこと、その間、直射日光や風雨にさらされないようにするなどの制約がある上に、一度耕作して収穫したあとで最低20年は放置する必要があると言われます。高麗人参が土力を吸い尽くしてしまうために、連作が不可能であると言われますが、連作障害は根腐病の発生がその主な原因であるとされています。
日本に渡った高麗人参
日本と朝鮮は地理的に近いこともあり、2000年前から交流があり、神秘の霊薬、高麗人参が日本に渡ったのもその頃と考えられます。記録に残るものでは天平11年(739年)に渤海の文王が酷暑とともに高麗人参30斤を聖武天皇に贈ったのが最初になります。
その後も、朝鮮半島からは、ほぼ継続して日本に高麗人参が贈られてきます。足利時代、室町幕府にやってくる朝鮮の使節団は高麗人参を「国交贈品」として持ってきて、日本は「国交回礼品」として銀などで報いました。
長い歴史を通じて高麗人参は礼物、交易品として朝鮮半島から日本に入ってきますが、日本における高麗人参の栽培は徳川時代、八代将軍吉宗の時代にようやく始まります。享保14年(1729年)に初めて高麗人参の栽培に成功しました。
高麗人参の成分
昔から高麗人参は漢方薬に配合されてきました。その効果についての科学的な解明は長い間行われてきませんでした。
高麗人参の成分についての最初の研究は、1854年にガリックという学者が有効物質を抽出し、パナキロンと命名したことが最初です。このパナキロンは、現在ではサポニンと総称されているものに含まれていますが、このサポニンこそ高麗人参に有効成分の代表的物質です。
サポニンとは、一般に水に溶かすとなかなか消えない、泡が立つ性質をもつ成分につけられたものです。サポニンは動植物界に広く存在する物質で、その起泡性を利用して洗剤に用いられてきました。(シャボン玉の語源がサポニンと言われています。)しかし、最近になって研究が盛んになっています。
重要なこととして、正しい食習慣、適度の運動、十分な休息、規則正しい生活リズム、整った生活環境などが必要ことは言うまでもありません。 |